谷口けい
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谷口 けい
(たにぐち けい)
生誕 谷口 桂
1972年7月14日
和歌山県和歌山市
死没 2015年12月22日(43歳没)
日本の旗 日本北海道黒岳
国籍 日本の旗 日本
出身校 明治大学文学部
著名な実績 8000メートル峰2座登頂
受賞
ピオレドール賞(2009)
日本スポーツ賞(2009)
谷口 けい(たにぐち けい、1972年7月14日 - 2015年12月22日[1])は、日本の女性登山家、アルパインクライマー。本名、谷口 桂。
目次
1 概要
2 経歴
3 TV出演等
4 著書
5 関連項目
6 脚注・出典
7 外部リンク
概要[編集]
1972年7月14日、和歌山県和歌山市生まれ。千葉県育ち。アルパインクライマー。
小学校時代に冒険家植村直己の著書と出会い、大人になったら植村の消えたデナリに登りに行こうと決めていた。
明治大学文学部史学地理学科入学。大学時代はサイクルツーリングクラブに所属し、自転車で日本と世界を旅していた。大学卒業後に山岳会(京葉山岳会)に入会するとともに、アドベンチャーレースにも参加するようになる。
大学卒業後、マスコミ業界に就職するが、2年半で退職。野口健環境学校プログラムファシリテーター、山岳ツアー会社契約ツアーリーダー、日本山岳協会自然保護指導員、東京都山岳連盟遭難対策委員兼救助隊等、教育、野外活動の分野で幅広い経験と実績を積む。
2002年より、野口健エベレスト清掃隊、マナスル清掃隊に参加、2006年マナスル登頂、2007年エベレスト登頂。それと並行し、ゴールデンピーク(7,200m)、ライラピーク(6,200m)、シブリン(6,543m)、カメット(7,756m)に新ルートからアルパインスタイルで登攀を成功させる。
2008年、登山パートナーの平出和也とともにカメット未踏ルート南東壁初登攀により、2009年に女性では史上初となるピオレドール賞(第17回)を受賞した[2]。平出とは2004年から2013年まで主なもので8回ともにした。
株式会社IWNC研修プログラムファシリテーター、野外研修ファシリテータ―、山岳ツアーリーダー、アドベンチャーレーサー、アルパインクライマー、東京都山岳連盟レスキューリーダー、日本山岳協会自然保護指導員、国立登山研修所講師を務めた。
2015年12月21日午後2時50分ごろ、北海道上川郡上川町の大雪山系黒岳(1984メートル)の北壁を男性4人との5人パーティーで登攀中、山頂付近で用を足すためロープを外し仲間から見えない岩陰へ移動した後に滑落[3][4]。岩陰には両手の手袋が残されていた[3]。悪天候のため捜索が難航し、翌22日午前中に心肺停止の状態で発見され、その後病院で死亡が確認された。死因は脳挫傷であった[1]。登山を始めるきっかけとなった植村直己と同じく43歳で生涯を閉じた[5]
野口健は谷口の死に関して、自身のウェブサイト上で、先鋭的な登山を続けていれば一部の例外を除いて時間の問題でいつかは死ぬ。谷口のハードな登山スタイルにこの日が訪れるのではと怯えていたと記した[6]。
経歴[編集]
1972年7月14日 - 和歌山県和歌山市に生まれる。
1998年3月 - 明治大学卒業。
2001年 - マッキンリー(6,193m/アメリカ)登頂。2日連続登頂。
2002年- 野口健エベレスト清掃隊2002に参加。
2003年 - 野口健エベレスト清掃隊2003に参加。
2004年 - ゴールデンピーク[北西稜](未踏ルート/7,027m/パキスタン)初登頂。(平出和也,谷口けい)
2004年 - ライラピーク[東壁](未踏ルート/6,200m/パキスタン)初登頂。(平出和也,谷口けい)
2005年9月5日 - ムスターグアタ[東稜](7,569m/新疆ウイグル自治区)登頂。(平出和也,谷口けい)
2005年10月12日 - シブリン[北壁](未踏ルート/6,543m/インド)初登頂。(平出和也,谷口けい)
2006年5月16日 - マナスル(8,163m/ネパール)登頂。(野口健マナスル清掃登山隊:谷口けい)
2007年5月17日 - エベレスト[北壁](8,848m/チベット)登頂。(野口健チョモランマ清掃隊:野口健,平賀淳,谷口けい)
2008年10月5日 - カメット[南東壁](未踏ルート/7,756m/インド)初登攀。
2008年 - カメット峰未踏の南東壁登攀が評価され、パートナー平出和也とともに「第17回ピオレドール賞(金のピッケル賞)」を女性初受賞。
2009年 - 読売新聞日本スポーツ賞受賞。
2011年5月2日 - フランシス峰[南西稜](3,185m/アメリカカヒルトナ氷河)登頂。(信州大学山岳会隊:花谷泰広,谷口けい)[7]
2011年5月7日 - カヒルトナクイーン[西壁](3,773m/アメリカカヒルトナ氷河)登頂。(信州大学山岳会隊:花谷泰広,谷口けい)[7]
2011年5月24日 - マッキンリー[ウエストバットレス](6,194m/アメリカ)登頂。(信州大学山岳会隊:花谷泰広,谷口けい,宮西広太郎,大木信介)[7]
2011年6月9日-17日 - カヒルトナピーク(西峰4,000m/東峰4,100m/アメリカカヒルトナ氷河)縦走。(信州大学山岳会隊:花谷泰広,谷口けい)[7]
2011年10月9日 - ナニムニ[南東壁](7,694m/チベット)登頂。(平出和也,谷口けい)
2012年 - アネト山(3,404m/フランス)登頂。この登山はNHK『グレートサミッツ』で放送された。
2014年9月29日 - 人類未踏峰のムスタンマンセイル峰(6,242m/ネパール)に日本の女子大生4名と共に初登頂し、世界を舞台に活躍する冒険家たちをたたえる「第6回ファウストA.Gアワード」の挑戦者賞に選ばれた[8][9]
2015年12月21日 - 北海道大雪山系の黒岳にて登山中に滑落し、行方不明となる[1]。翌22日心肺停止状態で発見され、病院にて死亡確認。43歳没[1]。
TV出演等[編集]
2013年1月28日 NHK BSプレミアム『世界の名峰グレートサミッツ』「女子トップクライマー ピレネー縦断の旅」[10]
著書[編集]
谷口けい出演『アドバンス山岳ガイド 剱岳八ツ峰』DVD (2010/6/18,山と渓谷社) ISBN 978-4635912471
谷口けい出演『アドバンス山岳ガイド 前穂北尾根北穂東稜』DVD (2009/5/26,山と渓谷社) ISBN 978-4635912501
関連項目[編集]
登山家
登山家一覧
脚注・出典[編集]
^ a b c d “登山家の谷口けいさん死亡 北海道・大雪山系黒岳で遭難”. 共同通信社. 47NEWS. (2015年12月22日) 2015年12月22日閲覧。
^ 谷口けいさん、北海道で死亡 登山家 43歳 - 日本経済新聞電子版、2018年5月22日閲覧
^ a b 登山家・谷口けいさんの死亡確認 北海道・黒岳で発見 朝日新聞 2015年12月22日
^ “【黄金のピッケル死去】「登山家の輝く星失った」と登山家の田部井淳子さん 「女性のハンディキャップが影響したのか」”. 産経新聞. (2015年12月22日)
^ 女性登山家・谷口けいさんの滑落死から何を学ぶのか? 山のトイレ事情と「用足し」論 - 産経新聞、2018年5月22日閲覧
^ “野口健公式サイト - 2016/03/13 谷口けいさんを偲ぶ”. 2018年5月26日閲覧。
^ a b c d 信州大学山岳会. “2011年アラスカ遠征報告書”. 2013年11月10日閲覧。
^ マンセイル初登頂、女子大生ら4人に挑戦者賞朝日新聞デジタル2014年12月22日10時1分配信(2015年12月22日閲覧)
^ 本学・長谷川恵理さんらの登山隊がヒマラヤ未踏峰・マンセイル峰に登頂成功!創価大学2014年9月29日配信(2015年12月22日閲覧)
^ 世界の名峰 グレートサミッツ 女子トップクライマー ピレネー縦断の旅:株式会社NHKグローバルメディアサービス(G-Media)
外部リンク[編集]
谷口ケイのでこぼこ登山
YAMAAN! PEOPLE 谷口ケイ
株式会社IWNC
Patagonia アルパインクライミングアンバサダー 谷口けい
平出和也
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平出 和也
(ひらいで かずや)
生誕 1979年5月25日(39歳)
長野県諏訪郡富士見町
国籍 日本の旗 日本
出身校 東海大学
職業 アルパインクライマー、山岳カメラマン
著名な実績
8000メートル峰6座登頂
エベレスト4回登頂
身長 169 cm (5 ft 7 in)
受賞
日本スポーツ賞(2001)
第17回ピオレドール賞(2009)
日本スポーツ賞(2009)
第17回秩父宮記念山岳賞(2015)
第21回植村直己冒険賞(2017)
第12回 PIOLETS D'OR ASIA(2017)
第26回ピオレドール賞(2018)
平出 和也(ひらいで かずや、1979年5月25日 - )は、長野県諏訪郡富士見町出身のアルパインクライマー、山岳カメラマン。
目次
1 概要
2 経歴
3 エピソード
4 TV出演
5 脚注
6 外部リンク
概要[編集]
辰野町小野で育ち、小中学校では剣道で長野県3位となった。
1995年4月、東海大学第三高等学校に入学すると陸上部に所属し、競歩の選手として活躍、全国大会で6位入賞。高校時代は訓練のため赤岳など日本の山を陸上スタイルで走って登っていた。1998年4月東海大学に入学、高校時代に引き続き1,2年時は陸上部で競歩に取り組み、日本選手権では10位となった。3年時より陸上部を離れ山岳部に所属、2年後にはヒマラヤ遠征に加わった。
2001年に未踏峰クーラカンリ東峰(7,381m)に初登頂を果たし、日本スポーツ賞を受賞した。2008年7月、同じICI石井スポーツ所属のプロ登山家竹内洋岳からの誘いで8,000m峰のガッシャーブルムⅡ峰とブロードピークにサポート兼カメラマンとして参加、連続登頂に成功。2008年10月のカメット峰 (7,756m/インド) 南東壁未踏ルート初登攀の功績によって、パートナー谷口けいと共に「第17回ピオレドール賞」を日本人として初受賞[1]。同功績により日本スポーツ賞も受賞。山岳スキー競技選手権アジア選手権団体リレー優勝、個人バーチカル5位、個人総合4位。
2013年5月、ミウラエベレスト2013隊に参画し三浦雄一郎の80歳でのエベレスト登頂を撮影した[2][3]。2014年、NHKテレビ番組「グレートトラバース」で日本百名山一筆書きに挑戦した田中陽希氏に撮影スタッフとして同行した。翌年、続編の日本二百名山一筆書きにも撮影スタッフとして同行している。
2015年12月、世界的な山岳登攀と独自の技法による撮影実績が讃えられ、第17回秩父宮記念山岳賞を受賞した。2017年2月には「誰にもまねできない冒険と撮影を両立している」として第21回植村直己冒険賞を受賞、2017年11月には同年の8月22日に達成したシスパーレ (7,611m/パキスタン) 北東壁未踏ルート登攀の功績によって平出のパートナーでもある中島健郎と共に「第12回ピオレドールアジア賞」を受賞し[4]、翌2018年には同功績で2度目のピオレドール賞となる「第26回ピオレドール賞」を受賞した[5]。
経歴[編集]
1979年5月25日 - 長野県諏訪郡富士見町に生まれる。
1992年3月 - 辰野町塩尻市小学校組合立両小野小学校卒業。
1992年4月1日 - 塩尻市辰野町中学校組合立両小野中学校入学。
1995年4月1日 - 東海大学第三高等学校入学。
1998年4月1日 - 東海大学入学。
2001年4月 - クーラカンリ[東峰](未踏峰/7,381m/中国チベット自治区)初登頂。この功績により日本スポーツ賞を受賞。
2001年9月24日 - チョ・オユー(8,201m/中国チベット自治区)無酸素登頂、山頂からスキー滑降。
2003年7月 - キンヤンキッシュ[西稜](7,852m/パキスタン)試登。
2004年7月 - スパンティーク(別名:ゴールデンピーク)[北西稜](未踏ルート/7,027m/パキスタン)初登頂。(平出和也,谷口けい)。
2004年8月 - ライラピーク[東壁](未踏ルート/6,200m/パキスタン)初登頂。(平出和也,谷口けい)。
2004年8月 - ドルクンムスターグ(未踏峰/6,355m/中国新疆ウイグル自治区)初登頂。
2005年8月 - ムスターグアタ[東稜](7,564m/中国新疆ウイグル自治区)登頂。山頂からスキー滑降。(平出和也,谷口けい)。
2005年10月 - シブリン(未踏ルート/6,543m/インド)初登攀。(平出和也,谷口けい)。
2006年6月 - K2(パキスタン・中国チベット自治区)のベースキャンプへ自転車での挑戦、チベット横断。
2007年7月 - シスパーレ[北東壁](7,611m/パキスタン)試登。
2008年7月8日 - ガッシャーブルムII峰(8,035m/パキスタン)登頂。(Amical German G-II Expedition 2008:竹内洋岳,平出和也,Gustafsson Eero Veikka Juhani)
2008年7月31日 - ブロードピーク(8,047m/パキスタン)登頂。(France Broad Peak Expedition 2008:竹内洋岳,平出和也,Eun Sun Oh,Gustafsson Eero Veikka Juhani,Nardi Daniele,Mario Penzari)
2008年10月 - カメット峰[南東壁]](未踏ルート/7,756m/インド)初登攀。(平出和也,谷口けい)。この功績により第17回ピオレドール賞、及び日本スポーツ賞を受賞。
2009年7月26日 - ガッシャーブルムI峰(8,068m/パキスタン)サポート兼カメラマンとして登頂。チームを組んだベイカー・グスタフソンは、この登頂にて8000メートル峰14座完登。
2009年10月 - ガウリシャンカール(7,134m/ネパール)途中断念。(平出和也,谷口けい)。
2011年5月26日 - エベレスト[南東稜](8,848m/ネパール)登頂。アドベンチャーガイズ隊のTV撮影隊として参加。
2011年11月 - ナムナニ(グルマランダータ)峰[南壁](未踏ルート/7,694m/チベット)初登攀。南峰から主峰、北西面へ初縦走。(平出和也,谷口けい)。
2012年8月 - ハン・テングリ(7,010m/カザフスタン)登頂。(NHKグレートサミットTV撮影隊:平出和也,三戸呂拓也,アレキサンダー・クデリゲ)。
2012年10月 - シスパーレ[南西壁](7,611m/パキスタン)5,750mにて敗退。(平出和也,三戸呂拓也)
2013年5月23日 - エベレスト[南東稜](8,848m/ネパール)サポートおよび撮影スタッフとして登頂。(ミウラエベレスト2013隊:三浦雄一郎,三浦豪太,倉岡裕之,平出和也)。このとき同時登頂した三浦雄一郎はエベレスト登頂世界最高齢記録更新(80歳223日)。[6][2][3]
2013年7月 - ディラン[西稜](7,266m)登頂。(平出和也,谷口けい)。
2013年8月 - シスパーレ[南西壁](7,611m/パキスタン)敗退。(平出和也,谷口けい)。
2014年5月 - エベレスト(8,848m)Hero Project アメリカ隊撮影。
2014年10月 - カカボラジ[北稜](5,881m/ミャンマー)NHKスペシャル撮影。天候不良により撤退。[7]
2015年5月 - エベレスト(8,848m)Hero Project アメリカ隊撮影。
2015年10月29日 - アピ(7,132m/ネパール)登頂。(JAPAN API EXPEDITION TEAM:平出和也,中島健郎,三戸呂拓也)[8]
2015年12月5日 - 第17回秩父宮記念山岳賞受賞。世界的な山岳登攀と独自の技法による撮影実績が讃えられた。
2016年5月19日 - エベレスト[北稜](8,848m/チベット)カメラマンとして登頂。(Hero Project アメリカ隊:平出和也他)
2016年9月21日 - ルンポカンリ[北壁](7,095m/チベット)登頂。北東稜を下降し縦走。(平出和也,中島健郎)
2017年5月25日 - エベレスト[北稜](8,848m/ネパール)登頂。(ICI石井スポーツ登山隊:奥田仁一,平出和也,荒川勉)[9][10]
2017年5月26日 - ローツェ(8,516m/ネパール)登頂。(ICI石井スポーツ登山隊:奥田仁一,平出和也,荒川勉)[9][10]
2017年6月 - デナリ(6,190m/アメリカ)NHKスペシャルデナリ大滑降(出演:佐々木大輔)カシンリッジを同行撮影。
2017年8月22日 - シスパーレ[北東壁](7,611m/パキスタン)新ルートから登頂。(平出和也,中島健郎)。この功績により第17回ピオレドールアジア賞と第26回ピオレドール賞を受賞している。
エピソード[編集]
竹内は平出のことを2008年7月のガッシャーブルムII峰とブロードピーク登頂計画でのサポート兼カメラマンに指名した理由として、「映像などの記録を残したい」「何かあったときの為に身近な人がいてほしい(連絡等が円滑になる)」「強い。自分がだめになっても登山を続行できる」ことを挙げた。
2005年、インドのシブリン峰(英語版)で、谷口けいと未踏ルートの踏破に挑んだ際、荷物の選定を誤った(用具を増やし、食料・燃料を減らした)ことから、登頂には成功したが、足の指を3本切断することになった。この時の教訓は、2008年のカメット登頂に生かされた[11]。
2010年11月7日、平出およびドイツ人パートナーのディビット・ゲットラー(David Göttler)はヒマラヤ山脈のアマ・ダブラムに遠征中、未踏ルートにこだわり北西壁新ルートを進んだ。その後下降した二人は切立った山肌で身動きが取れなくなり、ヘリで下るのも一つの方法と平出が案を出し、携帯にて救援要請。その要請を受け、Fishtail Air社の山岳救助のヘリコプターが出発。ヘリはまずゲットラーを救出、さらに平出の救出に向かった。しかし、聳え立つ巨大な6300mの氷壁でヘリはクラッシュを起こして1500メートルがけ下に墜落。救援隊の二名、パイロットのSabin Basnyat(34歳)および 技術者のPurna Awale(34歳)が死亡した。ネパール軍はこの時点で現場の危険度を顧み、救助ヘリを出すことを拒否した。その後、死亡したパイロットの友人にあたるパイロットがFishtail Air社のヘリで平出を救出した。この事故においてゲットラー氏と平出の二人は救出されたものの、地元のネパールの救援隊員二名が死亡するという最悪の結果となった。死亡した救援隊員は過去にスイスで山岳救助の訓練を受けていたという。スイス国営放送は彼らの死を悼んで番組を作成し、救援隊員の訓練当時の姿、事故後に嘆き悲しむ残された妻子などの家族たち、葬式の模様が報道された[12][1]。平出は、この事故で登山を辞めることを考えたが、亡くなったパイロットの葬儀に出席した際、両親から「新しい命をもらったと思って登山を続けていって欲しい」と言われたとTBSテレビ『クレイジージャーニー』で語っている[11]。
TV出演[編集]
2010年10月31日 TBS系「情熱大陸」(MBS制作)服部文祥[13]
2013年1月14日 NHK BSプレミアム「世界の名峰グレートサミッツ」世界最高のクライマー"シルクロードの王"を撮る~中央アジアハン・テングリ~
2015年4月11日 NHK「NHKスペシャル」「幻の山カカボラジ 全記録~アジア最後の秘境を行く~」[7]
2015年7月25日 NHK「経済フロントライン」未来人のコトバ 山岳カメラマン平出和也さん[14]
2017年1月2日 体感!グレートネイチャーSP▽ヒマラヤ造山帯~世界最深・カリガンダキ河をゆく
2017年2月24日 TBS「クレイジージャーニー」平出和也
2017年3月2日 TBS「クレイジージャーニー」平出和也
2017年9月21日 TBS「クレイジージャーニー」2人の無謀なジャーニーが偉業達成SP!
2018年2月3日 NHK BS1 「銀嶺の空白地帯に挑む~カラコルム・シスパーレ~」
2018年7月29日 TBS系「情熱大陸」(MBS制作)「登山家 山岳カメラマン・平出和也」
脚注[編集]
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^ a b Faust Adventurers Guild. “Hiraide Kazuya”. 2016年6月6日閲覧。
^ a b 週刊アスキー. “ヒマラヤでは軽量化とバッテリー温存がキモ!最強山岳カメラマンのドローン活用術”. 2016年6月6日閲覧。
^ a b Miura Everest 2013. “プロジェクト”. 2016年6月6日閲覧。
^ 第12回ピオレドール・アジアは日本のシスパーレ北東壁隊が受賞 山と渓谷社 Climbing-net 2017年11月7日
^ 【速報】ICI石井スポーツ所属 平出和也 ピオレドール賞の受賞が決まりました! ICIスポーツ 2018年8月3日
^ World Record Academy. “Oldest person to climb Everest: Yuichiro Miura breaks Guinness world record”. 2013年11月10日閲覧。
^ a b NHK. “NHKスペシャル 幻の山カカボラジ~アジア最後の秘境を行く~”. 2016年6月6日閲覧。
^ ICI石井スポーツ. “JAPAN API EXPEDITION 2015 動画公開”. 2016年6月6日閲覧。
^ a b ICI石井スポーツ. “ISG石井スポーツエベレスト&ローツェ登山隊”. 2017年12月8日閲覧。
^ a b 株式会社イード. “cyclestyle20170406”. 2017年12月8日閲覧。
^ a b “クレイジージャーニー 超絶無謀なアルパインクライマーの人生を変えた山”. gooテレビ番組(関東版). goo. 2018年8月12日閲覧。
^ ヘリ墜落事故に関する記録番組 "Die Bergretter im Himalaya (1/3) - Dokumentation" http://www.youtube.com/watch?v=EBJ6IKbNe1w なお、パイロットであったSabin Basnyatには2011年3月に国際ヘリコプター協会(Helicopter Association International = HAI)からEurocopter Golden Hour Award という賞が送られ、山岳救助に貢献した栄誉がたたえられた。この墜落事故についての英文記事 "Accidents in the Himalaya and helicopter rescues"
^ 毎日放送. “情熱大陸 服部文祥”. 2016年6月6日閲覧。
^ NHK. “経済フロントライン未来人のコトバ”. 2016年6月6日閲覧。
外部リンク[編集]
ICI石井スポーツ・アウトドア・平出和也の部屋
アルパインクライマー・平出和也(上) 日経新聞2013/3/18
アルパインクライマー・平出和也(下) 日経新聞2013/3/19
秩父宮記念山岳賞